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最高裁判所第三小法廷 昭和36年(オ)519号 判決

上告人 中央労働委員会

被上告人 国

主文

本件上告を棄却する。

上告費用は上告人の負担とする。

理由

上告代理人兼子一、同小林直人、同大和哲夫、同高島久則、同天野潤名義の上告理由第一点について。

論旨は、原判決が本件救済命令は申立人らが解雇期間内に他の職について得た収入を控除しなかつた点において違法であるとしたのは、労働組合法一条、七条、二五条、二七条の解釈適用を誤つたものである、という。

しかし、労働委員会による不当労働行為の救済は、不当労働行為を排除し、申立人をして不当労働行為がなかつたと同じ事実上の状態を回復させることを目的とするものであつて、もとより申立人に対し不当労働行為による私法上の損害の救済を与えることや相手方使用者に対し懲罰を科することを目的とするものではない。従つて、労働組合法七条一号の不当労働行為について労働委員会が原状回復の一手段として使用者に命ずるいわゆる賃金遡及払の金額は、当該不当労働行為によつて労働者が事実上蒙つた損失の額をもつて限度とし、労働者が解雇期間内に他の職について得た収入は、私法上労働者においてこれを使用者に償還すべき義務を負つているかどうかにかかわらず、それが副業的なものであつて解雇がなくても当然取得できる等特段の事情がない限り、これを遡及賃金額より控除すべきであつて、所論のように、右の控除をすることなく、遡及賃金全額の支払を命ずべきものとすれば、救済命令は原状回復という本来の目的の範囲を逸脱し、使用者に対し懲罰を科することとなつて違法たるを免かれない、といわなければならない。

原判決も、これと同趣旨に出たものであつて、その確定した事実によれば、本件救済命令の申立人たる佐藤武男ら四名の者がそれぞれ被上告人主張のごとく解雇後相当の期間にわたり他の職について収入を得ていたというのであるから、原判決が上告人の命令中、前記申立人らの別途収入を控除することなく遡及賃金全額の支払を命じた初審命令に対する被上告人の再審査申立を棄却した部分を取り消したことは正当であつて、是認すべきものとする。

されば、原判決には所論の違法はなく、論旨は、結局理由なきに帰し、採るを得ない。

同第二点について。

論旨は、原判決が民法五三六条二項の規定の趣旨に徴しても、労働委員会は労働者が解雇期間内に他の職について得た収入を遡及賃金額から控除すべきであると判示したのは、民法五三六条、労働基準法二六条の解釈適用を誤つたものである、という。

不当労働行為によつて解雇された労働者が解雇期間内に他の職について収入を得た場合、労働委員会がその収入を控除することなく使用者に遡及賃金全額の支払を命ずることが違法になるのは、それが救済命令の目的たる原状回復の範囲を逸脱して使用者に懲罰を科することになるという理由によるものであつて、それが私法上の法律関係と一致しないという理由によるものでないことは、上告理由第一点に対する説示によつて明らかである。従つて、所論原判示は、本件救済命令の適否をそれが私法上の法律関係と符合するかどうかの観点からも判断した点において失当の譏りを免かれないが、もとより傍論に過ぎないものであつて、判決に影響を及ぼすものではない。

されば 論旨は、結局理由なきに帰し、採用し得ない。

よつて、民訴四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

(裁判官 河村又介 垂水克己 石坂修一 五鬼上堅磐 横田正俊)

上告理由

第一点原判決には、労働組合法第七条、同第二七条、同第二五条、同第一条の解釈適用の誤りがある。

一、原判決は、「労働委員会の発するいわゆる救済命令は、使用者の不当労働行為によつて労働者が不利益をうけた場合に、労働者を事実上すみやかに救済するため、その不利益を排除して、できるかぎり、これを原状に回復させようとするもの」であり、また、「救済命令は前記のように不当労働行為によつて生じた不利益を原状に回復させることを目的とするもの」である、との規定を前提とし、そこから出発して、救済命令の内容を定めるに際しての労働委員会の裁量権の範囲を論じ、更には労働委員会が発する救済命令のあるべき姿を論じて、これと異なる見解にたつた上告人委員会の救済命令を取り消したのである。

(1)  この前提は、労働組合法第七条第一号の救済命令が、使用者の行為の結果として生じた労働者の不利益を回復することを目的とするものであり、したがつて、それは、使用者対労働者の個別的労働関係を処理の対象とし、労働者の不利益の補てんを図るべきものである、という理解に立つという意味で、誤りである。

不当労働行為制度は、労働組合法が予想する正しい労働慣行に反する使用者の行為について、これを公の政策に反するものとして排除することにより、正しい労働慣行の成長に対する障害をとり除くことを目的としている。使用者の不公正な労働慣行に対して労働者の団結権を擁護する方法としては、かかる行為をした使用者に刑罰を課すとか、労働者に特別の補償を認めるというような方法もありうるであろうが、現行の労働組合法はそのような間接的な方法でなく、直接的に集団的労使関係における「慣行」そのものとして労働委員会による救済命令によつて処理することを予定しているのである。したがつて、救済命令は、第一次的には使用者の行為そのものに着目するものであつて、その行為の結果を着目するものではないし、また集団的な労使関係における秩序を問題とするものであつて、直接に個々の労働者の利益・不利益を処理するものではないのである。

このことは、労働組合法全体の趣旨からいつても明らかであつて、原判決のごとく、労働組合法第七条第一号の救済を、労働者のうけた不利益の補てん、と規定すべきいわれはない。労働組合法第七条の不当労働行為の諸類型を全体としてみると、労働者が使用者の行為によつて不利益をうけることはその概念要素ではないのである。労働組合法第七条第一号第四号に掲げる行為のみについては、使用者が労働者に対して「不利益な取扱をすること」がその成立要件の一つであるから、この場合救済命令はかかる不利益のみを処理すれば足りる、という、見方がありうるかも知れないが、そのような理解は、同条各号の規定が相互に統一的な関連に立つことを、無視するものである。また、労働委員会による救済命令が直接的に労働者のうけた不利益に着目しその不利益の回復のみを図るべきものであるとすると、救済命令によつて労働者がうけるべきものは、本件のような場合、解雇によつて失なつた賃金それ自体というよりはむしろ解雇によつて労働者がこうむつた経済的精神的損害を補償すべきこととなる(なおその所属組合がこれに関連してうけた損害等も別に考慮されねばならないであろう)。不当労働行為制度を不法行為による損害賠償制度と同視するかかる見解が誤りであることはあらためて説くまでもない。

(2)  原判決は、労働委員会は不当労働行為に対する救済命令の内容を定めるに当つて「広汎な裁量権を有する」ことを承認するのであるが、しかしながら「委員会のこの権限は決して無制限のものではなく、制度の性質上から来るおのずからなる制限のあるべきことはもとより当然のこと」とし、しかして、「救済命令は前記のように不当労働行為によつて生じた不利益を原状に回復させることを目的とするものであるから」かかる不利益の補てんがすなわち救済命令の限度であり、右の裁量権の限界であると結論する。

労働委員会の右の裁量権が「決して無制限のものではない」ことは異論のないところであるが、しかしかかる制限は原判決のいうように「制度の性質から来るおのずからなる」ものとして説明され得るものでなければならない。けだし、労働委員会の裁量権についてそれ以外の任意の制限が裁判所の見解によつて課されうるとすれば、裁量権を認めること自体が無意味となるからである。

そこで、本件救済命令が右のような「制度の性質から来るおのずからなる制限」を超えるものであるかどうかについて考えると、不当労働行為制度は前述のように使用者の不公正な労働慣行をそれ自体として排除することを目的とするのであるから、もし本件命令が、本件において認められた不公正な労働慣行の排除という限度以上のものであるとすれば、それは救済命令の目的を超え、したがつて労働委員会の裁量権の範囲を逸脱することとなるであろう。しかるに、本件の場合には、かかる不公正な慣行は、使用者が訴外佐藤ほか三名を解雇し、その就労を拒み、また、これに伴つて解雇後の賃金を支払わないという点に見出されるのであるから、上告人委員会が本件において使用者に対し同人等の原職復帰と受くべかりし賃金の遡及支払を命じたことは、まさしく救済命令の目的の範囲内にあるといわなければならない。これと異なる原判決の結論は不当労働行為制度の趣旨を誤つて理解した結果、労働委員会の裁量権に対して根拠のない制限を課するのであつて、容認され得ないものと信ずる。

なお、原判決は、「労働者を不当労働行為がなかつた場合よりも事実上有利な状態に置く」ような救済命令の内容の例として、「たとえば特別の事情がないのに解雇から復職までの賃金の二倍に相当する金額の遡及支払を命ずる如き」ものを指摘するが、かかる命令が違法とされるであろうことは、上告人にも異論はない。しかし右引用のような命令が違法とされるべき根拠は、この場合使用者が労働組合活動の故に労働者を解雇してその後賃金を支払わないことが排除さるべき不当な労働慣行であり、解雇から復職までの賃金の二倍を支払わないことが排除さるべき不当な労働慣行ではない、という点に存するのである。

(3)  原判決は、労働委員会が不当労働行為である解雇事件について救済命令の内容を定める場合には、被解雇者がかかる解雇によつてうけた不利益から「解雇によつて得た利益」を控除し、残存する不利益についてのみ救済を与えるべきである、とするのであるが、これは、不当労働行為に対する救済を、集団的労使関係ではなくて個別的労働関係における衡平を維持するという観点からのみ考えるものである。しかるに、かかる救済が団結権の擁護と団体交渉の慣行の助成という観点から考えられるべきことは、労働組合法第一条が明示するところであるから、この場合に衡平の維持ということが考慮されるとすれば、それはかかる集団的労使関係における衡平であつて、使用者対被解雇者間の衡平ではない。したがつて、救済命令の内容が衡平上是認できるかどうかが問題となる場合には、原判決のように、「被解雇者の他での労務収入を控除しないで解雇から復職までの間受くべかりし諸給与全額の遡及支払を命ずるときは、不当労働行為のなかつた場合よりも事実上有利な状態になることは見易い道理である」(「事実上有利になる」こと自体は、不当に職場復帰を拒まれている労働者にとつて精神的な損害その他の損失を考えれば、必ずしも見易い道理ではない)との理由から、かかる救済命令を衡平の理念に合しないものとするのは的はずれといわざるを得ない。けだし、単なる個人に対する救済ではなくて健全な労使慣行の確立という政策的観点からすれば、救済命令の内容は、単に個人が失なつたものの補てんだけではなくて、労使に対する教育的、啓もう的効果あるいは将来におけるかかる不公正な慣行の再発の予防という考慮を含むことも認定された不当労働行為の排除という限度をこえない限りにおいては、当然認められなければならないからである。

(4)  また、上告人は、労働委員会が救済命令の一般的目的の範囲内で適当と考える救済内容を裁量する権限がある、という意味で、原判決のいうごとく被解雇者が他で働いて得た、またはうべかりし収入を遡及払賃金から控除しうることは、認める(本件の場合救済手続終結までかかる事実を知らなかつたのであるからかゝる裁量を行なうべき余地のなかつたことは記録上明らかであるが、それはさておくとして)ものであるが、それは遡及払賃金から「他で得た賃金」を差引くことが労働組合法の目的を実効あらしめるために役立つという事情が認められる場合においてであつて、一般的に他で得た賃金またはうべかりし賃金を差引くことが労働組合法の目的にそうものとは解されない。もし他で得た収入を賃金遡及払から差引くとすれば、使用者は何の負担もせずに容易にその労働者を排除しうる(不当労働行為をする)こととなるからである。

なお、いかなる救済命令が適当かという政策の問題として考えた場合、原判決が、現実に他で働いて得た収入は遡及払賃金から差引くが、この間容易に他で働いて収入を得べかりし状態にあつたにかかわらず無為に過した場合については不問に付するという取扱いも可能であるかのようにいうのは、妥当ではなかろう。

(5)  本件の場合、前記佐藤ほか三名が本件解雇後他で働いて得た収入は、民法第五三六条第二項但書にいわゆる「自己の債務を免れたことにより得た利益」であり、したがつて使用者がこの場合右佐藤ほか三名に対して負う実体法上の債務は、同人らが解雇後復職までの間に受くべかりし諸給与相当額から右の「他で働いて得た収入」を控除した限度にとどまるのであるから、救済命令によつてこの限度を超える義務を使用者に課するこちは許されないという見解、またそのように解しなければ、不当労働行為に対して通常の民事訴訟の方法によつて与えられる解決と救済命令による解決との間に差異が生ずることになつて不合理である、との見解がありうるかも知れない。

しかし右佐藤らが他で働いて得た収入が民法第五三六条第二項但書にいう「自己の債務を免れたことにより得た利益」に当らないことは、上告理由第二点において明かにするところである。のみならず、もともと不当労働行為制度は、そのような不当な労働慣行が行なわれた場合に、これをめぐる実体法上の権利関係の処理を与えるのみでは勤労者の団結権の保障に十分でないとの認識を前提として制定されたものであり、労働委員会の発する救済命令は、普通の訴訟では到底できないような具体的事案に即した救済を与える」(岐阜地判昭和二六・七・二、労民集二巻二号)ことを期待されているのであるから、救済命令の内容を実体法上の権利関係に限定すべきことは、もともと法の所期するところではないものというべきであるし、すでに御庁が確立された判例(最判昭和二八年(オ)一〇五三、昭和二九・五・二八、労民集八・五・九九〇)によれば、労働組合法第七条第三号の救済措置として、当事者の実体法上の請求権とは関係のない文書掲示(いわゆるポスト・ノーティス)を労働委員会が命ずることは、しごく合法的なのであり、本件救済命令はすでに明らかなごとく使用者の不当な慣行の排除という救済命令の目的に沿つたものである以上、当事者間の実体法上の権利関係に合致しないことの故をもつてこれを違法とみるのが当らないことはいうまでもない。

二、原判決のいうように、賃金遡及払を命ずるに当つて、常に解雇中の労務収入を差引かねばならないとすることは、労働委員会による不当労働行為に対する救済制度の実効を薄弱化する結果となり、原判決はこの点においても、労働組合法第一条、同第七条、同第二七条、同第二五条の解釈を誤つたこととなる。

原判決の判示によると、労働委員会は、復職を拒んでいる使用者に対する公法上の義務を課するに当つて、まず「復職までの間に他の職場で働いて賃金を得た」(原判決五丁十行目十一行目)か否かを何等かの方法で知らなければならない。つぎに賃金を得ていた場合には「それが副業的なものと認められる等持別の事情」(五丁十一行目六丁一行目)があるか否かを認定しなければならない。そうすると、「本件救済命令申立人らの他の職場における給与受領の事実が本件再審査終結当時に存在していた」(九丁五行目から七行目)場合には、「初審再審査を通ずる労働委員会の手続の過程でいずれの当事者からも主張、立証がなく、処分時にはこれを考慮する余地がなかつた事柄」(九丁二行目から五行目)であつても、労働委員会は、その職権をもつても、この点を審査確定しなければならないこととなる。ところで、労働組合法第二七条および同二五条からは、そのように解すべき根拠はきわめて薄弱である。さればこそ原判決は、右の論理を一応予定しながら、反転して、「労働委員会は労働者が他の職場で得た収入の額等を具体的に審査確定すべき職務権限を有しないものであるけれども」(六丁四行目から六行目)と右の論理からくる帰結を否定している。しかも労働委員会命令の賃金支払部分を全面的に取消されるということになると、結局救済命令としては、いかなる場合にも「他で働いて得た賃金」および救済を拒否する使用者をも予定するとすれば「受くるべき賃金」を、一般的抽象的に控除して支払うべき旨を、特に救済命令に明示すべし、ということになる。

(1)  解雇された労働者としては、労働組合等の十分な経営上の援助でもない限り、生活上何等かの仕事を求めて働かなければならない状態に追いこまれることは明らかである。もしこれによる収入をバツクペイから差引くとすれば、雇主は何等の負担をせずに、一時間にせよ、その者を職場から排除する目的を達することができるから、容易に不当労働行為をする傾向を助長することとなる。

また、労働委員会の審査において、職権をもつてしても解雇中の収入を審査しなければならないとすると、その範囲や額の認定が容易でなく、不当労働行為の成否の実体よりはむしろこの派生問題のために時日を要し、救済命令が遅延することとなり、一層被解雇者を窮地におとし入れることとなるのである。

(2)  さればこそ、従来労働委員会の解雇等に対する救済措置として、「他で働いた賃金」および「他で働いて受くるべき賃金」を一般的に控除して支払うべく命じた命令は一件も存しなかつたのであるし、このように命じなくても行政訴訟において合法的とされつづけてのである。

ただ、労働委員会の命令においても、とくに賃金遡及支払を伴わない旨、あるいはその一部を控除する旨、明示して原職復帰を命じた事例が若干存在する(命令の数としては初審、再審を通じ原職復帰・賃金遡及支払に関する命令約二五〇件のうち、二〇件たらず(昭和三五年末まで)に過ぎず、例外的な事例である)。

たとえば「組合専従期間を除き」(杵島炭鉱大鶴鉱業所事件、昭和二五年四月二八日、中央労働委員会事務局発行、労働委員会不当労働行為事件命令集第二集一二八頁。品川白煉瓦事件、昭和二六年二月一五日、命令集第五集七九頁)「すでに支払つた退職手当、予告手当、休業手当を差引計算して」(共和紡織事件、昭和二五年六月二三日命令集第二集一〇八頁。東京新聞川口専売所事件、昭和三三年一一月二〇日、命令集第十八・十九集五八頁。道産製菓事件、昭和二八年六月三日、命令集第八集八五頁)、「スト中賃金を除き」(中山鉱業事件(再)、昭和二七年一二月一七日、命令集第七集一九四頁)とする事例があるが、これらは、いずれも明文をもつて表現しなくても条理上当然であることを、いわば念のため指示したもので、かかる指示がなくても命令が違法とされるべきいわれはないであろう。

問題となるのは「紛争の原因、経過から単純に賃金遡及払を命ずべきではない」(福井計器事件、昭和三一年一一月三〇日、命令集第一五集六三頁)、「勤務成績が良好でない事由が認められるので遡及払をしない」(駐留軍板付基地事件、昭和三〇年八月三一日、命令集第一三集九二頁。平和タクシー事件、昭和三四年一一月二八日、命令集第二〇・二一集二〇一頁)の事例と「同一使用者の他の職場で得た賃金の控除(鉄道建設輿業事件、昭和二九年二月一二日、命令集第一〇集八九頁。新共和タクシー事件、昭和三〇年三月九日、命令集第一二集五一頁)、及び「他において得た賃金の控除」(新共和タクシー事件、同前)を命じた事例であろう。

勤務成績が良好でなかつた、あるいは紛争の原因経過から適当でない、として、賃金遡及支払を命じなかつた理由の当否は問題であろうが、かかる裁量を労働委員会が行なう余地および権限を有することは、上告人も認めるところである。しかしかかる裁量を行なわなかつたからといつて直ちに命令が違法性を帯有するにいたると解すべき筋合いのものではない。つぎに、同一使用者の下の他の職場で賃金を得ている場合その部分まで同一使用者に負担せしめることは、いわばその限りにおいて使用者の不利益取扱はなかつた(別の角度からは、受けるべき救済命令の内容の一部をすでに行なつている)ものとみうるのであるから、救済命令の名宛人に二重の負担を課すことになつて、その部分についてのみあるいは違法といわれる余地が生ずるかも知れない。しかしながらこの場合でもとくに二重の負担を課す趣旨が明瞭でない限り、救済内容としては、条理上二重の負担を課さない趣旨のものと解すべきであること、前出の退職金等の支払額の控除の場合に近いであろう。

他で得た賃金を明示的に控除すべきことを指示した新共和タクシー事件の命令が、原判決の趣旨にやや近い唯一の事例であるが、この事件は、四名のタクシー運転手中三名が命令の名宛人会社の他の職場で一応働き、他の一名の運転手のみが他の会社で働いていたという特殊事例なのである。かかる場合でも他で得た賃金の控除を命じなくても格別の違法を生じないのであるが、他の三名について同一名宛人会社に重複して支払わしむるのが酷に失するという観点からとくに控除を明示した関係およびタクシー運転手という特殊な雇用事情、を考慮し、一の不当労働行為事件で一名についてのみ特別に取り扱う結果となる点の適否を裁量した事件なのである。この命令においても労働委員会の命令にも拘らず使用者が就労を拒否している場合について、一般的抽象的に「他で働いて得べき賃金」を差引くことまでは考えていないのである。

(3)  またこれまでの命令に関する間接強制の運営からみても、原判決の予定する労働委員会の救済命令の運営を必要とないものである。すなわち労働組合法第二七条第九項の規定にもかかわらず、労働委員会がこの規定によつて裁判所に不履行通知した事件は、実に数件であつて、過料の決定のあつたのは一件(松山地裁昭和二七・二・一四決定、労民集四・五・四五二)にすぎない(なお、緊急命令違反はこれよりも多いがそれでも十件程度である)。

このことは、まず何よりも労使間の紛争が命令履行の形で解決する場合にあつても、結局話し合いによつて事実上の解決をみることが多く、そのような場合額面どおりの履行がなくてもこれをただちに不履行とはみてこなかつたこと、および救済命令と労使関係の実体との関係(賃金遡及支払は命令の付随的な義務と考えられることが多く、本件たる部分が履行されるとき、ないしは使用者に結果として負担能力にかけるにいたつたと認められるとき等には事案の実状にそくした弾力的運用が必要であると考えられている等)から不履行通知をしてこなかつたことを示している。

厳格にいえば、賃金遡及支払分の一円につき不足であつても不履行は不履行なのであろうが、労働事件の実体からはそのように理解する必要はない。事実、労働委員会の救済命令もそのような事情を反映してそのすべての部分にわたつては確定的に明文化されてこなかつたのである。初期(昭和二四年ないし昭和二七年頃)には賃金遡及支払を明示しなくても遡及支払を含んだものとして運用されてきた場合が多かつたし、現在でも賃金給与の遡及支払を命じても既に支払われた解雇予告手当、退職金等を控除すべき旨を明示しないものも多いのであつて、これらは当然に支払額から差引くべきものと予定している場合もみられるのである。行政処分としての労働委員会の救済命令は、右のような場合、不履行の責を使用者が負うことはないであろうし(労働委員会は不履行通知をしてこなかつた)、臨時的に他に就業して得た給与が従前の給与と実質的に同等またはそれ以上である場合にまで、その遡及支払の部分に欠けるところがあるからといつて、欠けた部分についてだけの不履行の措置は考えられてこなかつたのである。

行政訴訟係属中の不履行の問題については、通常全面的に不履行であろうから、労働組合法第二七条第七項による緊急命令の決定となる。緊急命令制度をいかに理解するかは問題であろうが、行政訴訟係属中に暫定的に使用者に命令を履行させるものであるから必ずしも全面的に履行させる必要はなく、裁判所において(他で良好な給与をえていてその必要なしと考えられるとすれば)申立によりまたは職権でいつでも自由に変更されることが可能な仕組になつており、事実しばしば変更決定がなされる実情である。

要するに、命令の違反という面から考えても、従来の労働委員会のとつてきた救済命令の内容は、原判決判示のような遡及支払分の明示的限定を必ずしも必要とはされてこなかつたものである。

(4)  以上みてきたとおり、原判決判示の結論とする公の政策をそのまま労働委員会命令に適用することが、いかに過去十数年にわたつて集積してきた労働委員会の実績を無視しまた実情にもそぐわないか、ということが明瞭になつたと思うが、さらにここで実定法ならびにその解釈からも原判決の趣旨がでてこない所以についてふれてみたい、と考える。

この点に関係するのは、労働組合法第二七条第一項および第四項である。第一項は調査審問について、第四項は命令による裁量の仕方について、それぞれ規定し、いずれも細部の手続については中央労働委員会規則に委ねている。労働組合法のこれらの規定が、救済命令として他で得た賃金を一般的に控除して支払うべき旨、いわんや他から受くべき賃金を一般的抽象的に控除して支払うべき旨を、特に明示すべきことを期待しているものとみることは困難であり、また、労働組合法第二七条第一項および第四項でその手続のほとんどを委せた中労委規則にも右のことを予定したとみられる規定は存しない。

(5)  原判決の趣旨からすると、「他で得た収入」および「他で得るべき収入」を一般的に差引くよう指示しなければならないことになるのであるが、原判決も認めるように(八丁目四行目以下)、他で働いて得た場合と副業的な場合と無為に過ごした場合の不均衡は何としても蔽いえない。いずれの場合も使用者が違法に就労を拒んでいることから生じている点では同一なのである。

三、以上を要するに、原判決は、労働組合法の不当労働行為制度の趣旨を誤つて理解したために、救済命令の範囲についての解釈を誤り、労働委員会に与えられた裁量権の正当な行使として発せられた救済命令を違法の処分として取り消したのであつて、結局労働組合法第七条、同第二五条、同第二七条、同第一条の解釈を誤つたことに帰着するから、この点において破棄を免れない。そしてもし労働委員会が今後原判決の趣旨にそつて制度を運用すべく要請されるとすれば、それは労働委員会の事務処理に無用かつ過大の負担を課すると同時に、不当労働行為制度の実効をいちじるしく阻害することとなるので、この点についての御判断を求めるものである。

第二点原判決には、民法第五三六条および労働基準法第二六条の解釈適用の誤りがある。

原判決は、行政法上の労働委員会の不当労働行為に対する救済措置と当事者間の雇用契約上の私法的権利関係とは一応別個なものであること、を認めながらも、衡平上前者についても、民法第五三六条第二項の規定する趣旨を維持すべきであるとして、解雇中の労務収入を差引くべきであると結論する。

一、しかし、民事事件として、一般の不当解雇に基づく雇主側の就労阻止の場合であつても、民法第五三六条第二項を適用することは誤りであると信ずる。けだし同条は、双務契約における一方の債務が履行不能となつた場合に、相手方の債権をどうするか、といういわゆる危険負担に関する規定の一つであつて、契約本来の効果を定めるものではないと共に、その適用は客観的な履行不能に限られるからである。雇主の過失によつて工場が焼失した結果、労務者が出勤して就労しようとしても、雇主においても仕事を与えることができないために、その債務が履行不能となるような場合はその適例であろう(かかる場合の休業について、労働基準法第二六条は、六割以上の休業手当の支給を定めて画一的に処理している)。

ところが、雇主が解雇をしたからといつて、労務者の就労を阻止する場合は、その時点においては客観的な履行不能ではなく、単なる債権者の受領遅滞であるから、反対給付である労務者の雇用契約上の賃金支払請求権はその時点毎に現実化されてしまうわけであり、その後において利益償還として減殺される理由はないのである。(賃金は労務提供の対価であるから日給又は月給として支払われる場合でも、その支払請求権は観念的には就業に伴なつて刻々に発生すると見るべきであるから、他からの労務収入も常に履行可能状態におけるものとなる)。

このことは、また次のような理論構成によつても、支持できるであろう。雇主の一方的な都合による就労阻止は、その時点における就労義務の免除であるから、自己の債務である賃金支払義務には何等影響するはずはなく、いわば有給休暇を与えたのと同様なものである。労務者は有給休暇を利用してその労力により他から収入を得ることは自由であり、これによる利得を雇主に償還する理由は何等ないはずである(例えば農家から通勤している者が農繁期に有給休暇をとるが如し)。なお、労務者としては雇主から解雇通知を受けた以上、予めの受領拒絶に会つたわけであるから、たとい毎日出勤しなくとも、雇主の要求があれば就労できる状態で待機すれば、履行の提供として十分であるというべきである。

要するに、不当解雇に基づく雇主の就労阻止は、労務者の債務の客観的な履行不能を意味するものではないから、危険負担の規定をまつ必要はないのである。もつとも判例中には、民法第五三六条第二項の適用を肯定するものが見受けられるが(大正四年七月三一日大審院民事第三部判決、民録二一輯一三五六頁)、その事案は労務者の賃金請求を是認する理由としただけのものであつて、解雇中の労務収入を償還すべきか否かに関するものではないから、本件の場合に適切ではない。

二、仮りに、不当解雇に基づく雇主の就労阻止の場合にも、民法第五三六条第二項の適用があるとしても、解雇中労務者が他から労務によつて得た収入は、同条但書にいわゆる「自己ノ債務ヲ免レタルニ因リテ利益ヲ得タルトキ」には当らないと見るべきである。たとえば、職場への通勤費を支払わないで済むことは、債務を免れた必然の利益といえる。これに反し、その労働力を他に転用するかどうかは、本人の意思によつて定まるものであるから、債務の免脱と収入との間の因果関係は中断されるのである。原判決は、労務者が解雇されなかつた場合よりも解雇された方が利益になるような取扱いはおかしいというけれども、むしろ、生活に余裕がありさえすれば遊んでいた方が得になるというような解釈を是認することこそ、却つて怠惰を奨励するもので、勤労の義務を明示する憲法(同第二七条第一項)の精神に合しないであろう。

三、更に、仮りに右の点がすべて然らずとしても、原判決は、労働基準法第二六条の存在を無視するものである。不当解雇に基づく雇主の就労阻止の場合に民法第五三六条第二項の適用があるとすれば、かかる就労阻止は同時に労働基準法第二六条にいわゆる「使用者の責に帰すべき事由による休業の場合」に当るものと解すべきことは条理上当然であろう。しかして後者の条項がかかる場合につき、平均賃金の少くとも六割に相当する手当の支払を命じ、違反行為に対する罰則規定をもつて、これを強制している趣旨に徴すれば、民法第五三六条第二項但書による賃金支払請求権の減殺は、労務省の平均賃金の四割を超えることを許されないものと解するのが相当である。したがつて、訴外佐藤ほか三名は、他職場での労務収入の有無にかかわらず、平均賃金の六割に相当する金額につき賃金支払請求権を有するのであつて、同人らが右の労務収入を「控除した残額のうべかりし給与を請求し得るにすぎない」との原判決の判示は、この点においても誤りであると信ずる。

以上

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